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211件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2015-04-23 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第10号

先生方御案内のとおり、一九五五年にインドネシアスカルノ大統領が反植民地主義などを掲げまして、多くは第二次世界大戦独立をした国々だったわけでございますが、六十周年を迎えたということでございます。  十年前の五十周年は、当時の小泉総理が、アジア諸国の人々に対する我が国の植民地支配と侵略の問題について、反省と心からのおわびの気持ちを述べられました。  

福山哲郎

2015-03-27 第189回国会 参議院 予算委員会 第13号

十五か国を訪問しておりますけれども、例えばインドのネルー首相とか当時の台湾の蒋介石総統、それから後半の、これは訪米の後でございますけれども、この間亡くなられたシンガポールリー・クアンユー首相インドネシアスカルノ大統領、これは二十日間行っております。で、アメリカに、先ほど申しました日程の前に、やはりアジアに行っていたということが非常にポイントだろうと思います。  

藤田幸久

2013-02-12 第183回国会 衆議院 予算委員会 第4号

私が、若いころ、高碕達之助さんの紹介で会うことのできたエジプトの二代目の大統領ナセルも、それから、その後しばらくして会ったインドネシアスカルノ大統領も同じことを言いました。我々が独立を果たせたのは、第三次世界大戦に勝ったおかげだと。第三次世界大戦というのは何ですかと聞いたら、独立戦争だ、それができたのは日本おかげだと。

石原慎太郎

2007-05-16 第166回国会 衆議院 外務委員会 第12号

それから、先ほどの御質問だったんですが、インドネシアの話が出ておりましたけれども、あのときのあれが敵前逃亡扱いになったらどうというお話が一例あっておりましたけれども御存じのように、インドネシアの戦線にそのまま残られて、敗戦直後、そのまま現地に残って、インドネシア独立スカルノ等々にいろいろ力をかした人というのは、もう御存じのようにいっぱいおられます。

麻生太郎

2001-11-28 第153回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

したがって、当時そのナショナリズムのいわばヒーローでありましたエジプトナセル大統領あるいはインドネシアスカルノ大統領などにとってみますと、イスラムは必ずしも表に出ては好ましくない存在でありました。むしろ、イスラムということよりはアラブ民族あるいはインドネシア人の精神といったものが重要であったわけです。あと、どちらかといえばイスラム運動は政治的に弾圧される傾向にありました。  

後藤明

2001-02-21 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

例えば、私どもは、インドネシアという国にスカルノさんという独裁者を生み、物すごいお金をつぎ込みました。それは日本の利益にもなりました。しかし、その体制が矛盾に満ちていたことはインドネシア歴史自身が示しましたし、また、それにかわったスハルトさんが同じようなことをつくったときに私どもは向こうの変化で思い知らされました。つまり、協力の仕方やあり方ということを教えているわけです。

鈴木佑司

2000-11-30 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第5号

私がまだ若造のころ、二十代でしたけれども、ある有力な方の紹介で、エジプトに行ったときに会うことのできたナセルや、あるいはインドネシアスカルノという大統領、あるいは私の非常に近しい友人でもあり、先輩でもありますが、私、アジアだけじゃなしに世界で最もプロミネントな指導者であると思うマレーシアのマハティールさんも同じことを言っている。

石原慎太郎

2000-11-30 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第5号

○赤松(正)委員 さっきのお話の中で、いろいろなアジア指導者の、私もマハティールさんにはお会いしたことがありますが、ナセルスカルノマハティールの例を挙げて、ドグマじゃないんだということで、近代国家日本世界史における意味合いという中で、日本という国家が巨大な軍事産業国家として登場してこなかったら、やはり世界白人支配という格好になったであろうという意味の、正確を欠くかもしれませんが、そういうことをおっしゃった

赤松正雄

1999-05-31 第145回国会 参議院 行政監視委員会 第6号

例えば、今非常に問題になっております、何人かの先生方から質問ございましたインドネシアの問題にしても、もちろんスカルノ、スハルトという独裁軍事政権を支えるということは本意じゃないんですが、では逆の歴史として、インドネシア独立後の歴史に、少々問題があるけれども、安定した政権というものが今日のインドネシアの、アジアの奇跡と呼ばれる国の一カ国にまでつながったのはやはり安定した政権があったということが大きな

杉下恒夫

1998-05-27 第142回国会 衆議院 安全保障委員会 第11号

それからもう一つ、九・三〇事件は、スカルノ政商華僑容共華僑と結びついて、百万人近い死者を出しながらスハルト政権をとっていくわけですが、そのときも華僑襲撃の的なんです。今回も華僑襲撃の的なんですね。  日本国大使館の大使の部屋に入りますと、「大道長安に通ず」という漢字が書いてあるのですな、中国大使館なら、「大道長安に通ず」という漢詩を書いて結構ですよ。

西村眞悟

1998-05-22 第142回国会 衆議院 外務委員会 第14号

一方、インドネシアの著名な野党政治家であるメガワティスカルノ氏は、去る三月、クリントン米大統領あてに手紙を送り、インドネシア人民がより民主的なシステムをつくり上げようとしているそのときに、米軍社会を統制する致命的な方法で軍への訓練を行っている、心理作戦訓練都市型地形訓練狙撃訓練などいずれも人民抑圧型のものであると、米軍の関与に対して厳しく抗議しています。  

古堅実吉

1998-03-12 第142回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

しかも、メガワティさんという、これはメガワティ・スカルノプトリ、スカルノのお嬢さんが野党指導者でおります。アウンサン・スー・チーさんというのはアウンサン将軍、つまり建国の父の娘さんです。全くインドネシアとミャンマーとは状況は同じです。  では、日本の援助、インドネシア中国と並んでたくさん与えています。

舛添要一

1998-03-12 第142回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号

そしてまた、さかのぼって言うならば、九・三〇事件の後でスハルトが出てくるのかスカルノが居座るのか、この判断も外務省は余り的確ではなかったように思います。  また、もう一つ、飛びますけれども村山総理が謝罪してマハティール首相にたしなめられましたけれども、あれは華僑マスコミ論調のみを信じて、物を言う手段を持たない民衆の意識を見ることがなかったことからくる失策だと私は思っております。  

西村眞悟

1998-03-12 第142回国会 参議院 外交・防衛委員会 第4号

こういう状況がありまして、その中で今回スハルト大統領が再選されましたが、何とこれが七期目だそうでありまして、戦後、スカルノ大統領以後もう三十年余り政権を握っておる。身内あるいは一族その他の側近たちが国内で枢要な地位を占める、あるいは重要な企業を差配しておるということでいろいろと批判されておりまして、その改革を求めることが非常に重要なのではないか、こう思われております。

佐藤道夫

1997-03-17 第140回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

真白き富士の何とかという歌も歌うんです、スカルノが愛唱した。しかし、日本がここでどんなことをしたんですか。パターン半島の死の行進のことなどもフィリピンの人が語り、インドネシアの人が語るときに、アジア人たちは、日本が再びアメリカと一緒になってアジアの私たちを抑圧するんじゃないか、現にし始めているんじゃないかと言って見ていると思うんです。

芳澤弘明

1996-04-04 第136回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号

それで、東南アジア諸国にとって、昭和十七年二月十五日のシンガポール日本軍によって陥落したという事実は、これは百年後の歴史の教科書に、あの時点でコロンブス以来の武力による西欧諸国の膨張が同じアジアの国によって遮断されたという歴史的な事件として歴史年表に記載されるほどの事件だと私は思いますけれども、そのときに感激したチャンドラ・ボースであれ、スカルノであれ、ハッタであれ、アウンサンであれ、彼らが建国

西村眞悟

1993-10-05 第128回国会 衆議院 予算委員会 第3号

例えばスカルノナセルに私は物書きのころ会いました、ある人の紹介で。そのときに二人が期せずして言ったことは、いろいろ評価もあるだろうけれども、しかし、日本人があの太平洋戦争に有色人種で唯一参加したために、それが引き金になって、戦後は我々を抑圧する第三の世界大戦が起こったけれども、全部我々は独立戦争としてそれをから取って、勝った。この勇気を与えたのは日本人だということを言っていますよ。

石原慎太郎

1992-11-05 第125回国会 参議院 本会議 第2号

過去をあげつらっても仕方がありませんけれども、古くはインドネシアスカルノ大統領失脚中国国連加盟米中頭越し外交中韓国交樹立など、情報不足についても反省させられることが相次いだのはまことに遺憾であります。問題は、外務省にあって余りにも純血主義的人事が行われ過ぎているのではありませんか。今こそ、国際社会に通用するすぐれた人材を外交の第一線に積極的に登用すべきではないでしょうか。  

下条進一郎

1992-02-26 第123回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

ですから、スカルノ大統領もそうだったし、今のスハルトさんだって何とかしてその島を早く結んでいきたいと思うのですよ。  例えばジャカルタからスラウェシという、昔のセレベスですけれども、そこへ船で行くにしても三週間ぐらいかかるわけですよ、最も速い船ですら。新聞ジャカルタで発行されて三週間後にしかきょうの新聞は着かないわけでしょう。そういう状況なんですよ。全部無線でやらなければいけないわけですね。

板谷茂